市川の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

千葉県市川市歴史探訪
市川市の概要
市川市は、千葉県の北西部に位置し、西に江戸川を挟んで東京都と接しているほか、東に船橋市、北に松戸市、南に浦安市などと隣接しています。市域には縄文時代から多くの人が住んでおり、日本有数の貝塚郡が存在しています。また、行徳地域はかつて「江戸の名所」として人々に親しまれ、江戸時代は塩づくり、明治末期からは海苔の養殖が盛んでした。教育機関や博物館も多く、文教都市として発展している中、都心20m圏内ということでベットタウン化が進んでおり、総人口は467,368人(2006年8月1日現在)に上っています。

市川のあゆみ
市川には、今までに118ヶ所にも及ぶ貝塚や遺跡が発見されており、古くから多くの人が住んでいたことが知られれています。その中でも堀之内貝塚、曽谷貝塚、姥山貝塚は国史跡に指定されています。
大化1年(645)の大化の改新を機に、国府台に下総の国府が置かれ、聖武天皇の詔により国分僧寺や国分尼寺が今の国分周辺に建てられると、下総国の政治の中心地として栄え始めました。またこの頃、真間(まま)に手児奈(てこな、てごな)という絶世の美女の伝説があり、そのうわさは奈良の都にまで届き、万葉集に詠まれるほどでした。

平安時代は入ると、中央集権が衰えて地方政治が乱れたことで、平将門や平忠常の乱が起きます。市域にも影響を及ぼしたと言われており、各地に平将門の伝説が残されています。
鎌倉時代には、日蓮の唱える法華経信仰が広まったことで、法華寺や本妙寺、安国寺などが建てられました。後に法華寺と本妙寺が、中山法華経寺の一つにまとまりました。
戦国時代には、それまで市域を治めていた千葉氏が馬加氏によって滅ぼされました。そのとき、千葉氏が立て篭もったとされる市川城が当時どこにあったのかは、今も判明していないそうです。また、太田道灌と里見義堯が国府台に城を築き、里見氏と北条氏は国府台を舞台に幾多の合戦を繰り広げました。

江戸時代には、徳川家康が行徳で盛んだった製塩に着目し行徳を天領とすると、行徳は成田山参詣の道中として栄え、渡船の標識として常夜燈が建てられました。
明治以降は、政府は国府台に軍隊を駐屯させ、市川は終戦まで軍隊の町として歩みました。昭和8年 (1933)当時の市川町・八幡町・中山町・国分村が合併して市川市が誕生します。戦後、大柏村・行徳町・南行徳町を合併し、現在の市域となりました。
現在はIT化を推進し、電子会議室など市民と行政が協働する、まちづくりを目指して、発展しています。


市川の名前の由来
市川の地名の由来は、市域を流れる江戸川が坂東一の大きな川であったことから「一の川(いちのかわ)」と呼ばれた、川の下流沿岸で荷を積んだ川舟が集まって市が開かれ「市川」と呼ばれたなど、諸説さまざまあります。


市川の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
市川歴史博物館
住所: 千葉県市川市堀之内2-27-1 [地図を見る]
電話番号: 047-373-6351
開館時間: 9:00〜16:30
休館日: 月曜日、祝日、年末年始
※月曜日が祝・休日の場合は火曜日も休館
(5月3〜5日、11月3日は臨時に開館しています)
入館料: 無料(特別展は有料の場合もあります)







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